1. 三つのルール 2. 野外彫刻、三つの活用法 3. 三つの「ウェア」 4. 文化を育む三つの「C」 5. 三つの期待 6. 三つの懸念 7. 三人の地域リーダー 8. 優れた企業、三つの条件 10. 三種の神器と三上の訓 11. 三人のトラバーユ 12. 深夜の国際電話 13. 選択的市民のすすめ 14. 明快少年出現! 15. ふるさと人材育成事業報告 16. 魅力あるまちづくりとは? 17. アメリカの常識、日本の非常識 18. 女性のバス運転手 19. たかがチップ されどチップ 20. ボーダレス時代の新市長に望むこと |
まちの軸何年振りかに、昔自分が住んでいた所に行ってみた。「あそこを曲がって、まっすぐ行くと突き当たって、坂を下ると畑が見えて………。」等と想いながら歩いてみるが、あの頃の“明るさ”や“密やかさ”が一向に感じられない。当然の事ながら(?)、あの頃無意識のうちに歩く目標になっていた垣根や溝、小さな広場や道標も既に存在していなかった。 二つの大きな変化が感じられた。昔の通りや路地がヤケに狭く感じられた。自分の体格が変わって視点が高くなったことが原因だろう。全てのモノが狭く、小さく見えたのだ。そして、自分の「方向感覚」が狂ってしまっていたのにも気が付いた。周辺が開発され、大きなバイパスが通ったため、車を降りてからのアプローチが自分の住んでいた頃の方向感覚を壊してしまっていたんだろう。 自分の生まれ場所に住み続けている人には、このような気持ちは理解できないかもしれない。「玄関があって、廊下があり、居間に続く。裏道があって中庭に繋がる………。」幼い頃、周辺は自分の家の一部のようなものだった。たとえ、あいだを路地や垣根が隔てていても、隣の家の動静は手に取るようにすぐに分かる。路地を歩いていると垣根のすき間から隣の家の生活の匂いがかげる。路に立っていても自分の待っている遊び友達の動きが見える。 毎日通る路、自転車も擦れ違えないような狭い小路が幼い自分にとっては生活の中の重要なバックボーン(背骨)だった。車の通らない路はキャッチボールのできるステージだった。溝や垣根さえもが遊び道具の一部だった。そんな風景は脳裏から離れず、たとえ白黒の画面(シーン)であっても記憶に強く残っている。そんなモノクロの光景の中心の一つとなっているのは「路」ではあるまいか。 しかし、そんな生活空間の真ん中をバイパスがよぎったら、大量の車が通過する大きなバイパスが通ってしまったらどうだろうか。昨日まで“表(おもて)”と思っていた道が裏通りになり、家の背中側が大通りになってしまったら、そこで暮らしている人達の心象風景がどのように変わっていくのだろうか。 宇部の街には不思議と旧道と新道が斜めに交差している所が多いように思う。いや、縦、横が正確に交差していた所に無神経なバイパスが無粋に割り込んで来たのではあるまいか。宇部のまちの道路図を眺めると幾つかの「断層」を見る想いがする。宇部の「まちの軸」はどこにあるのだろうか。どこが中心軸になっていくのだろうか。 戦後間もない頃宇部に住んでいた山田洋次が、先日宇部を訪れて、テレビ画面で「昔の界隈」を語っていた。何十年かたった宇部を、昔自分が住んでいた所を見た彼は一体どのように感じたのだろうか。「また来よう。」と思ったのだろうか。 1995/11/14 |
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