1. 三つのルール 2. 野外彫刻、三つの活用法 3. 三つの「ウェア」 4. 文化を育む三つの「C」 5. 三つの期待 6. 三つの懸念 7. 三人の地域リーダー 8. 優れた企業、三つの条件 10. 三種の神器と三上の訓 11. 三人のトラバーユ 12. 深夜の国際電話 13. 選択的市民のすすめ 14. 明快少年出現! 15. ふるさと人材育成事業報告 16. 魅力あるまちづくりとは? 17. アメリカの常識、日本の非常識 18. 女性のバス運転手 19. たかがチップ されどチップ 20. ボーダレス時代の新市長に望むこと |
三つの期待先に開催された「中核都市リレーシンポジウム」に関してもう一度感想を述べたい。前回述べたが、この種の会議にありがちな決まり切った進行でなく、会場との楽しいやり取りを含めて、極く自然な司会進行がされ非常に好感がもてた。 いつもこの種の会議で感じることは、他者に対する希望、批判のみが突出して、市民として、個人としてどのようにやるべきか、が提案されることが少ないのであるが、今回はそれが少なかったように思う。いわば「市民レベルでの議論」が湧き出たようにも思う。これを契機に、是非ともパート3、パート4を継続して欲しいと願う。 さて、会場からの発言中、ごく一部ではあるが、幻想に近い期待が三つあるような印象を受けた。それは、「施設(ハコモノ)の建設」「文化の醸成」「行政の役割」に対する期待である。 まず、「施設建設」に対する過大な期待である。ソフトウェア(施設の運営・企画)、ヒューマンウェア(利用対象者に対する気配り)が伴わなければ、「施設建設」は、単に施設維持だけが地域にとってのお荷物となることを私達は知っておかなければならない。(詳細は、既述したので省略する。) 次に、「文化の醸成」に対する安易な期待も感じられた。文化は他から持ってこれるものではなく、地域社会の継続的な営みの中から育まれるものであると思う。(同様に省略する。) 最後に、「行政の役割」に対する過大の期待も感じられた。 簡単に表現すれば、行政は「お助けマン」である。行政は、公益的(必要ならば先導的、継続的)なサービスを提供することが使命であり、市民ニーズの代行をするのではない。今日、一般的に地域住民の行政に対する多種多様なニーズが高まった結果、行政需要が増嵩の一途を辿っているが、私達市民はこれに対しては「大きな行政、大きな負担」を覚悟しなくてはならないと思う。 当然のことながら、市当局は公益的な立場、観点から地域づくりに対する理念・ビジョンと計画実施のための戦略・戦術を持たなければならない。しかし、市が策定するこのビジョン、計画等に市民の意向を反映させるのは市民自らの権利であり、義務である。市民の意志があってこその行政サービスである。何からなにまで全て行政に求めるのはエゴイズムでしかない。私達市民にはサービスを求める権利もあるが負担を履行する義務もある訳である。市政に意見を反映させる手段を選ばなくてはならない。 「地域づくりは人づくりであり、地域づくりの主役は市民である。」とのパネリストの発言は、地域づくりに対する主体的で自立的な関わりあいを私達市民に対して厳しく求めているように感じたのは、私だけだろうか。 1993/03/10 |
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