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深夜の国際電話フランスの作家シャルドンヌのこんな言葉がある。「15、6才の頃、人はいろいろなことを考える。人生の問題を残らず発見する。あとは、それに慣れてしまい、次第に忘れ去る」留学している長女が珍しく国際電話をして欲しいと言ってきた。高校時代に1年間留学したことがきっかけで、2年前、大学で学ぶために再度渡米して以来、緊急のとき以外には、手紙さえも中々よこさない彼女がである。 用件は、自分の名前の由来を父親である私に確認するためである。なぜ、そんな名前を付けたのかは、以前彼女には説明してあった。苦し紛れに選んだのか、それとも元々興味を抱いていたのか。 聞けば、自分が任意のテーマを選び、リサーチし、10枚のレポート用紙にまとめるのが課題だという。それはいいのだが、締め切りが翌日という。相変らずの「付け焼き刃」的に物事に対応する性格は親譲りである。 生まれてくる子供の名前には、学生時代の自分の最大の関心事を、男の子なら○○○、女の子なら○○と決めていた。世の中の桎梏(しっこく)から自由に生きて欲しいと願ったものである。 国際電話で、それも20分もかけて説明すると、「解かった。」と本人は言ったが、、、。 電話で彼女に説明しながら、自分の胸が熱くなったのがわかった。20年前、子供が生まれるのを待ちながら様々なことを思いめぐらしていた自分の気持ち、当時抱いていた夢、希望を想い出したからである。 若いころ「正義とは、社会的な力とは何か?」等と何日も繰り返し考えた時期があった。 しかし、そのころと比較して、果たして今、自分の生活はどうだろうか? 人生の問題に悩み、夢を抱いていたころの気持ちを持ち続けているだろうか? 悪しき旧習にとらわれない生き方をしているだろうか? 意味のない世間の常識というものを、子供に強要していないだろうか? 彼女との電話での会話は、人生の3分の2の時間を過ごしてきた今、シャルドンヌのこんな言葉をもう一度、思いだすのに大変いい機会であった。 ところで、受話器を置いた後に気づいたのだが、私の付けた名前を、現在本人が気に入っているのかどうかは聞き忘れてしまった。 1993/05/19 |
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