1. 三つのルール 2. 野外彫刻、三つの活用法 3. 三つの「ウェア」 4. 文化を育む三つの「C」 5. 三つの期待 6. 三つの懸念 7. 三人の地域リーダー 8. 優れた企業、三つの条件 10. 三種の神器と三上の訓 11. 三人のトラバーユ 12. 深夜の国際電話 13. 選択的市民のすすめ 14. 明快少年出現! 15. ふるさと人材育成事業報告 16. 魅力あるまちづくりとは? 17. アメリカの常識、日本の非常識 18. 女性のバス運転手 19. たかがチップ されどチップ 20. ボーダレス時代の新市長に望むこと |
変わりゆく湯布院のまち「どうしたんですか、突然に来て。」「いやー、湯布院に行ってみたい、という女房の希望で急に思い立ったもんでね。」そんな会話で田井さんとの4年ぶりの再会が実現した。山水館の小野さんが来宇された一週間後の日曜日である。彼とは、平成2年、宇部JC創立35周年記念事業の「市民シンポジウム」でパネリスト同士として初めて知り合った仲である。 当時の資料を見ると、彼については「……福岡県出身。昭和47年、クラッシックギターの演奏活動を開始し、音楽事務所を開設。60年、湯布院町へ転居。有機無農薬野菜生産者グループの設立や『ゆふいん音楽祭』事務局長などを歴任し、……」とある。 その後、平成3年に、トーク・ウベ21が「ふるさと人材育成基金」の助成を受けて全国各地域の視察を行った際、何人かのメンバーと一緒に湯布院を訪れた際に再会した。 ちょうどその時、彼は町のド真ん中の駅前の一角に奥さんと一緒にレストランを開業したばかりであったが、開業後間もない日曜日の大変に多忙な時間を割いて、私達に湯布院のまちづくりの現状や自分達の夢を語ってくれた。中でも「まちづくりについては、行政がやるのを待っていられない。アテにすることは出来ない。だから、自分達は自分達のやりたいことをドンドンやっていく。湯布院ではそれができる。そういう自由がある。だから湯布院が好きだ。」との彼の発言は今でも強烈に私の記憶に残っている。 古い家を改造した面白いつくりのレストランであったが、胆の座った彼のまちづくりに対する姿勢と妙にバランスがとれている、とその時感じた事を想い出す。 (湯布院の町については、トーク・ウベ21が平成3年に行ったシンポジウムの資料『街角の語りべ達・第3集』で報告している。) さて、田井さんの経営しているレストラン「南の風」で昼食をとった後、わが女房の案内役を務めながら約4時間、久し振りに湯布院の町の中を散策した。 しかし、4年前の印象とは対象的に、今回はやけに自家用車と街角のアンノン族(?)の多さが目につき、正直言って失望してしまった。 特に『空想の森美術館』の二階の小窓からの風景が一変していたのには驚いたとともに、「あー、ここもそうか。」と落胆した。窓の外の林間から見える山の景色が絵画のようだった4年前とは打って変わって、今は隣のペンションが視界を遮っていたからである。 「まだ、色々な美術館があるけど、回って見るか?」と問いかける私に、初めてこの町を訪れた女房も「何だか、賑やかすぎるようね。もういいわ。」と半ばあきれた風で答えた。「湯布院は、どう変わっていくのだろうか。このままでいいんだろうか。」と私も考えていた。 1時間後、何故か前日訪れた落ち着いた日田のまちを想いながら湯布院から安心院町に抜ける夕暮れの道をハンドルを握り走っていた。 1995/10/31 |
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