1. 三つのルール 2. 野外彫刻、三つの活用法 3. 三つの「ウェア」 4. 文化を育む三つの「C」 5. 三つの期待 6. 三つの懸念 7. 三人の地域リーダー 8. 優れた企業、三つの条件 10. 三種の神器と三上の訓 11. 三人のトラバーユ 12. 深夜の国際電話 13. 選択的市民のすすめ 14. 明快少年出現! 15. ふるさと人材育成事業報告 16. 魅力あるまちづくりとは? 17. アメリカの常識、日本の非常識 18. 女性のバス運転手 19. たかがチップ されどチップ 20. ボーダレス時代の新市長に望むこと |
選択に値するまち最近ラジオで、退職を契機に東京から九州に転居した夫婦の話しを聴いた。長年勤め上げた会社を退職する機会に、これからの自分たちのライフスタイルに合った生活の場を選択した結果が九州だった、という話しであった。「奥さんは反対されなかったのですか?」と意地悪く(?)訊ねるアナウンサーの質問に、くだんの男性は「家内もそう思っていたようですよ。」とサラリとかわしていた。この夫婦の場合は「夫唱婦随」の様である。「最近、こんな例はどこにでもあるし、珍しくも無い。むしろ近い将来には、老後は日本を離れて暮らすという例もありうるな。」などと考えながら、盛岡、仙台の出張に出発した。「三陸:海の博覧会」をプロデュースした方のお話しを聴くための旅行である。盛岡は岩手県の県庁所在地で、人口30万人の中核的都市である。飛行機と東北新幹線を約6時間かけて乗り継いで着いた盛岡は、城下町の名残りのある街のたたずまいで、どこか山口市と似ていた。運良く2日間は晴天で、こちらで言えば1か月先の気候を思わせるような日中の快適さだったが、今回の出張の収穫は、200万人動員の実績にもとづく説得力と示唆に富んだ話しのほかに、知人のご馳走してくれた「野菜そば」の美味しさであった。少し大袈裟だが、あんな味付けには今だかつて出くわしたことが無い。早速、駅でそばを買い込んで、次の目的地、仙台に向かった。 仙台では、友人のアナウンサーに会った。「仙台も綺麗だが、山口のほうが良いよ。」とさりげなく言う彼は東京育ちで、東京の大学を出ている。彼が山口に家族を置いたままで単身赴任していることは知っていた。しかし、現在、山口にマイホームを建築中であることを仙台で初めて聞いて、内心私は驚いた。「こうして二人で飲んでいると、何だか、ここは山口の店のような感じがするねぇ。」山口を離れて2か月しか経っていないのに、彼は妙に懐かしそうだった。楽しかった山口を想い出し、家族をことを考えていたのだろう。私は、急に先日ラジオで聞いた話しを思い出した。そして、自分の周囲にも、たった7、8年の滞在でそこを永住の地と決めた人がいたのを知った。 この二つの例は、私たちにとって、独自のまちづくりや地域のアイデンティティがいかに大切かを教えてくれる。自分たちのまちでありながら、「宇部のまちが元気が無いのは誰だれのせいだ。」などと親や先輩たちに文句を言い、ある“壁”や“体制”そして“秩序”に向かってぶつかってきたように思う。だが、いま一つの時代が過ぎ去ろうとしている。この夏、友人の親、戦前から戦後にかけて、家族や地域、そして会社のために頑張ってきた人達が相次いで亡くなって行った。いよいよ私たち“団塊の世代”が中心となって職場や地域をリードすべき時がやってきた、という実感がした。 自分たちの欲する“まちづくり”、選択に値する“まちづくり”を実践しなければならないと思う。 1995/09/04 |
|