1. 三つのルール 2. 野外彫刻、三つの活用法 3. 三つの「ウェア」 4. 文化を育む三つの「C」 5. 三つの期待 6. 三つの懸念 7. 三人の地域リーダー 8. 優れた企業、三つの条件 10. 三種の神器と三上の訓 11. 三人のトラバーユ 12. 深夜の国際電話 13. 選択的市民のすすめ 14. 明快少年出現! 15. ふるさと人材育成事業報告 16. 魅力あるまちづくりとは? 17. アメリカの常識、日本の非常識 18. 女性のバス運転手 19. たかがチップ されどチップ 20. ボーダレス時代の新市長に望むこと |
市民参加の映画づくりとは?「あることを訴えるために全国行脚をしたい。そのために自転車が欲しいので皆で支援のカンパをしてくれないか。」との呼びかけに応じて私たちがカンパをしたとしよう。が、しばらくすると、当の本人は「カンパで自転車を買ったけど、お金が余ったので、これを買わせて貰いました。」と言って私たちの前で背広を着て見せた。それを見た私たちは「背広を買うために君にカンパしたのじゃないんだけどなあ。」と気持ちを踏みにじられたような複雑な想いを抱いた。例えは悪いが、これは『募金に約2千万円の余剰金が出そうである。カッタ君映画制作委員会では8月上旬の最終会議で使途を協議し、市に寄付する。』という記事を読んだ私の率直な感想である。私たち市民は、市長の提唱された「市民の手でカッタ君映画制作を!」に呼応し、いくらかの募金をしている。少ない小遣いを貯金箱から取り出して募金した子供たち、掛け替えのない年金から募金したお年寄りたち、また、親会社や元請企業から要請されてシブシブ協力した零細企業もあった(やに聞いている)。かく言う私自身も個人として募金をした上に、グループ『トーク・ウベ21』でも(高いのではないか?との一部の声もあったが)2,000円のテレフォンカードを買って協力した。さらに山口市内にある私の職場でも200人以上の宇部高校の同窓生に呼びかけてテレフォンカードを買って貰った。手法は違っても、さまざまな形で多くの市民が協力している。その想いは「市民の手でカッタ君映画制作を!」ただ一つであったろう。このように参加してきた市民感情からすれば、余剰金の使途については強い関心を持たざるを得ない。約2千万円といえば目標額1億円の2割に相当する大きな金額ではないか。余剰金が出るとすれば、その使途については、まず第一にカンパをしてくれた市民、企業、団体などの意見を聞くべきではあるまいか。「カンパされた全ての市民から意見を聞くのは不可能」というのであれば、何らかの方法で抽出された募金者から意見を集約してもいい。“市民参加”を掲げるのであればアイデアを一般から募っても良いではないか。目的を限定して一般公募しておきながら、余剰金の使途に関しては制作委員会で(市に寄付することを前提に)決定するというのは釈然としない。一体何に使われるのだろうか。 一方、同紙面では、今後市内で上映の際には実費相当(市長発言)の鑑賞料が必要とのこと。この点に関しても、前述の市民感情からすれば、その多寡にかかわらず疑問が残る。振り返って見れば「カッタ君映画制作」については、上映方法や事務局体制に関して、そのスタート時点から計画性、一貫性が欠けていたように思える。「急なことだったから仕方がない。」と言えばそれまでだが、市長が委員長、事務局員は市職員と実質的に行政がサポートしていながら、実施体制や上映方法が二転三転するなど、少々お粗末な感は拭えない。 “市民参加の映画づくり”を掲げるならば、余剰金の使途や市内での上映経費や方法などについて、民間と行政(議会)との基本的な在り方を含めて、遅くはない、もう一度検討すべきではあるまいか。 以前、「募金をする際に映画鑑賞の優待券を付けたら?」とある人に提案したことを今思い出した。 1995/07/11 |
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