1. 三つのルール 2. 野外彫刻、三つの活用法 3. 三つの「ウェア」 4. 文化を育む三つの「C」 5. 三つの期待 6. 三つの懸念 7. 三人の地域リーダー 8. 優れた企業、三つの条件 10. 三種の神器と三上の訓 11. 三人のトラバーユ 12. 深夜の国際電話 13. 選択的市民のすすめ 14. 明快少年出現! 15. ふるさと人材育成事業報告 16. 魅力あるまちづくりとは? 17. アメリカの常識、日本の非常識 18. 女性のバス運転手 19. たかがチップ されどチップ 20. ボーダレス時代の新市長に望むこと |
「友人について」その4友人を想い出すときには必ず「あの一言でアイツは…」とか「彼のあの言葉が…」といった場面が出てくる。私の発言が友人の進路に影響を与えたのではないか、と思えることがある。 中学時代から親しかった友人が地元の国立大学に入った。帰省するたびにお互いの近況を報告し話し合っていたが、学年が進行するに連れて話題はお互いの就職に及んでくる。「これからは資格を持っていればどこでも食っていけるし、出身学校も関係無い。公認会計士なんかはいいんじゃないかナ」と経済学部に在籍している友人に言った覚えがある。その後、学部を卒業した彼は突然上京してきて、公認会計士になる勉強を続けていた。希望を成就して現在は三鷹に住んで公認会計士をやっている。今は、交友は無いが元気であるらしい。 次は、逆に自分が影響を受けた友人の発言について。 実は私は高校二年の末までは、工学部志望であった。理由としては、義兄が機械の出身だったこと、当時の日本が高度成長の真っ只中で工業都市宇部に住んでいること等が思い当たる。工学部に行くことに何の疑いも持っていなかった。もっとも、自分は建築家になりたいというひそかな夢を抱いていた。今でもデザインや建築物、路上観察などに興味を抱き続けているのは、「三つ子の魂百までも」との格言どおりである。 さて、二年の秋頃、「志望は文系か理系か」を決める時期になった折、友人から「一緒に東京に行こうよ。お前は理系向きじゃ無いぞ。」と言われてハタと考えこんでしまった。両親に相談した覚えはないが、義兄をはじめいろいろな人に相談した記憶がある。 しかし周囲からは「アンタは理屈っぽいから、理系が向いてるよ。」「これからは理系、それも工学部がいいと思うがねぇ。」という答えばかりであった。が、自分の出した答えはその反対。三年から文系志望に変えてしまった。「成る程、アイツの言う通り、自分の性格や興味は案外、政治や経済分野に適性があるかな」と思ったからである。 人生を一途に考える時代だからこそ言えた友人の発言だったと思う。決して裕福ではないが、多くの友人や環境に恵まれて楽しい人生を送らせてもらっているのは、あの時の友人の適切な“進路指導”のお陰である。 彼とは、学校こそ違っていてもお互いに東京に住んでいてしょっちゅう会っていたし、大学時代のかなりの時間を共有しあった。互いの部屋に泊まったことも十回や二十回では納まらない。金が無くなったらお互いを電話で呼び出して借金したり、食事をご馳走させたりもした仲である。 でも、彼が卒業前の就職活動中に「俺、商事と銀行に合格したが、お前どっちがいいと思う?」と相談してきた時には、「それぁ商事が面白いよ。俺ならそうする。」と即答したが、私の意見に反して彼は銀行マンになった。高校時代から、いつも私に追随して来た彼の自主的な判断だったのだ。 彼は現在その銀行の投資部長を務めている。 1995/03/19 |
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