1. 三つのルール 2. 野外彫刻、三つの活用法 3. 三つの「ウェア」 4. 文化を育む三つの「C」 5. 三つの期待 6. 三つの懸念 7. 三人の地域リーダー 8. 優れた企業、三つの条件 10. 三種の神器と三上の訓 11. 三人のトラバーユ 12. 深夜の国際電話 13. 選択的市民のすすめ 14. 明快少年出現! 15. ふるさと人材育成事業報告 16. 魅力あるまちづくりとは? 17. アメリカの常識、日本の非常識 18. 女性のバス運転手 19. たかがチップ されどチップ 20. ボーダレス時代の新市長に望むこと |
「日米比較考」アメリカの想い出に、とヨセミテ国立公園のビデオテープを買ってきました。大変きれいなので友人にも見せてあげようと貸したのですが、二、三日後に返しに来た友人が「大変申し分けない。ビデオを落として割りました。」と謝るのです。訳を聞いてみると、ケースに入れたまま落としたのではなくて、ケースから出し入れする時に落とし、割れたのだそうです。でも何か妙に感じました。「どうして、あんなに大きな出し入れ口があるのに失敗するのだろうか?」と疑問に思ってもう一度そのビデオテープを見ると、その原因が分かりました。取り出し口が日本のビデオテープと違って、アメリカ製のそのビデオの場合は縦に出し入れするように作られているのです。全てのビデオテープがこのような形式とは思いません。でも去年から日米の様々な生活スタイルの違いに関心が高まっていたものですから「アア、こんな点にも日米の違いがあるのか」と妙な感心をしました。考えてみれば、生活の中で日米の差異を感じる光景は結構あるものです。 こんな冗談もあります。 アメリカの観光地で、ある日本人観光客が現地の子供にスナップを撮ってもらおうと自分のカメラを渡しました。子供が少し離れ過ぎているので近づけようとして手招きをしましたた。すると、その子供はカメラを持ったまま、走り去ったたそうです。 この笑い話は、日米の生活習慣の相違、具体的には手招きの方法が日米で正反対であることを示唆しています。「あっちへ行け」という意志表示になってしまったのです。 このように日米間の生活習慣の相違に基づく表現、発想の違いは、この「手招き」や「ビデオの箱」にはじまって、道路交通法、ノコギリの使い方、肯定や否定語の出る位置や結論の出し方などの文章表現、レディー・ファーストの姿勢などなど、数多く存在しています。 今回最も強くその隔たりを感じたのは友人に対する「呼称」の違いでした。私達日本人は、殆どの友人に対して苗字で呼びかけます。つまり「ファミリー・ネーム」で呼びかけます。でも彼らアメリカの人達は、年令を越えて個人の名前で、つまり「ファースト・ネーム」で呼び合います。場合によっては両親に対しても「ファースト・ネーム」を用います。確かに、彼らがファースト・ネームで呼び合うことは以前から知ってはいましたが、ファースト・ネームで呼び合うことがこれほど親密な感情を呼び起こすものとは今回のように長くホームステイするまでは想像もできませんでした。私達の社会では、ファースト・ネームで呼び合うのは家族、親族、そして竹馬の友とも言える生来の友人に匹敵する場合のみに限られるのではないでしょうか。 この違いはどこから来ているのでしょう?「家系」を重んじてきた日本人と「個人」を重んじてきたアメリカ人との相違でしょうか?宗教の違いでしょうか?定住型の農耕民族と移動型の狩猟民族との相違でしょうか? なぜ、これほどまでに日米の風習、発想、表現が好対照なのか、今も考えています。 1994/05/30 |
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