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04/10 花の最期(最後)の表現


11/24 やっとのことで「オシドリ」を撮れました。


11/05 オシドリ観察会に行きました。


03/18 「モクレン」が開き始めてくれました。


02/12 ふたたび「床波漁港」の野鳥撮影に行きました。


02/10 常盤公園の生きもの達をご紹介します。


02/09 「ミコアイサ」が間近に撮れました。


02/07 デジカメのテストをしました。


01/27 今年もどうぞよろしくお願いします。

12/31 プロジェクトの目標金額が大幅に上回りました。

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6月16日、「宇部市渡辺翁記念会館 開館80周年記念事業」がスタートしました。(渡辺翁記念会館と村野藤吾の関わり)

「渡辺翁記念会館」の外観
「渡辺翁記念会館」の外観
(以下は、Wikipediaから引用)
宇部市の発展に大きく寄与した渡辺祐策(宇部興産の創業者)の功績を記念するため、渡辺の関連した沖ノ山炭鉱など7つの会社によって1937年(昭和12年)4月に竣工し、周辺の公園とともに同市に寄贈された[1]。当時の宇部市は市民公会堂建設の必要性が高まっていたが費用面でめどが立っておらず、大変タイミングのよい事業であった[1]。
渡辺翁記念会館は、のちに宇部興産ビル(宇部全日空ホテル)や旧宇部銀行館、宇部興産宇部ケミカル工場事務所など、宇部市に関連した多数の設計にかかわることになる村野藤吾の、同市における最初の仕事であり、村野自身も「私の出世作」と語っている[2]。
渡辺翁記念会館の設計にあたって、村野は早稲田大学の音響学者である佐藤武夫の助言を受けるなど音楽ホールとしての音響特性に特に注意した[2]。その結果、特に舞台上で他の演奏者の演奏がよく聞こえるなど演奏に適した音響特性が実現され、1951年(昭和26年)、バイオリン奏者ユーディ・メニューインの来日時の演奏会場に指定されたことなどをきっかけに音響効果のすぐれたホールとして広く知られるようになった[2]。
同館は、良質の材料が十分に使用されたことや2度の大改修を含む適正な維持管理が行われてきたことから、西日本でもっとも歴史のある音楽ホールの一つとして今日でも国内外の演奏家によって利用されている。同館は、このような長期にわたる利用を可能とする設計と、その後の実際の適切な維持管理とを表彰して、1995年(平成7年)の第4回BELCA賞ロングライフ部門に選ばれている[2]。
村野の設計による同記念館は、戦前期の前衛建築として最高傑作の一つに数えられ、1997年(平成9年)6月12日には登録有形文化財に、2005年(平成17年)12月27日には村野の作品として初めて国の重要文化財に指定された[3]。
建物は鉄筋コンクリート構造(会堂部分は鉄骨鉄筋コンクリート構造。外壁は黒褐色タイル張りとする。客席両脇の側廊などが後に増設されているが、おおむね竣工当初の形態を残している。会館前のテラスには正面に長方形の「記念碑」、左右に3本ずつ計6本の「記念柱」があり、これらは会館を寄贈した7つの企業を象徴している。[4]
2007年(平成19年)には、「風格があり、昭和初期のモダンな雰囲気を残している」との理由から、映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』のロケ地(銀座の映画館という設定)としても使用されている[5]。

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