“プレイヤー”は誰なのか?
1「行政イニシアチブ」の時代は終ったのか? 昨夏の政権交代の直後、最大の政策課題であった「緊急雇用創出・トランポリン政策」に対し、「地域戦略会議」で「市民イニシアチブ」の取組みを検討し始めた頃、私はある地方都市の首長がマニフェストの1項目として提唱された「事業仕分け」の実行をお手伝いしていました。 当時、一般的には「事業仕分け」が非常に斬新なことと受止められていましたが、長く地方公務員として財務・経理や政策立案に携ってきた者にとっては、特別に目新しいこととは思えませんでした。なぜならば、政府から地方自治体に至るまで共通に、過年度の事業執行に対するチェックとしては「監査」があり、翌年度の予算編成に対しては「査定」という、それぞれ表現は異なりますが、「事業仕分け」と同様のチェック機能が法制度化されていたからです。 もっとも、「〜が定められている」と「〜が実行されている」とでは雲泥の差がありまして、これが“必殺仕分け人”ブームの重要なポイントなのです。 私と同様の経験のある方々は恐らくそのような思いで、あの「事業仕分け」を観ておられたのではないかと想像しています。 しかし、何故あれほどマスコミ、知識人から一般市民まで挙って注目し、話題としたのでしょうか?それには、政府与党の執った2つの斬新な手法があったと考えます。 一つは、徳川の時代から“お上”“によって“依らしむべし、知らしむべからず”と躾けられた日本国民の目には殆ど捕らえられなかった行政(官僚)の予算編成過程が「密室」から引き出され、ホンの一部、一瞬ではあっても“白日の下”にさらけ出された、これまで知りえなかった情報が公開されたという画期的な事件だったということでしょう。 そしてもう一つは、“無謬性”という強い衣で守られていた官僚組織をチェックの対象としてしまった、かつて裁く側に立つことはあっても裁かれる側に立つことは想像も出来なかった“お上(官僚)”を小気味よく断罪したかのようなドラマチックな演出をしたことでしょう。 この2点のお陰で、日本国民は連日溜飲が下がる思いでこの「政治ショー」を眺めつつ、与党議員の“政治主導”に期待し拍手喝采をしていたのではないでしょうか。
2 「事業仕分け」は何を残したのか? しかし、1年たった今、あの「事業仕分け」はどれ程の具体的な成果を挙げたのでしょうか?国民の期待にはどのような答えを出してくれたのでしょうか?否定的な答えを出される方が多いのではないのでしょうか。 私はあの「事業仕分け」には、“3つのム”があったように思えます。第1の“ム”は、官僚の何分の1かの知識しか持ち合せていなかった与党政治家の能力の“ムリ”。 第2の“ム”は、仕分けの対象に極く一部の事業しか取上げなかったために本来の目的であった財源の捻出には行き着けなかった“ムラ”。 そして第3の“ム”は、公開の場での「事業仕分け」会場に出席した数多くの官僚と仕分けする側の政治家の双方が費やした時間とエネルギーと報酬という膨大な“ムダ”です。 国民が忘れてはならないのは、あの「事業仕分け」の場で少なくとも「廃止」や「削減」或いは「見直し」と講評(?)されたはずの該当事業が実は姿形を変え、名称を変えて22年度も実質的には継続されたのではないか、いや少なくともあの判定がどのように実行されたのかを誰がチェックしているのか?国民には報告されているのか?ということです。いや、換言すれば私たちは関心を抱き続けているでしょか? 地方の基礎自治体で同様の作業に携っていた私の関心事は、国の「事業仕分け」が残した最も大きな問題点です。知恵と経験とに長けた官僚たち、そして一部の同僚議員たちによって、体よく祭り上げられ、腑抜けにされてしまった結果、政権交代を果たした与党議員の最大の狙いの一つであった「政治主導」が成果を挙げられなかったのではないか、ということです。 与党議員にとって得るべきは「財源捻出」などの小魚ではなく、「政治主導」という大魚だったはずです。オバマ大統領の登場と軌を一にしたような政権交代の流れをつくった国民は「官僚イニシアチブ」から「市民イニシアチブ」への転換をワクワクしながら待ち望んでいたはずなのですが、残念ながらこの1年、その流れは停滞しているとしか言い様がありません。 しかし、誰もが思っているはずです、今は「市民イニシアチブ」への移行過程であり、我慢し時間をかけてその実現に向けて丁寧に推し進める時期であると。 3 いま、行政と政治家は何をなすべきか? 画期的との評価を得た「事業仕分け」は私的に言わせれば、“ムリ”、“ムラ”、“ムダ”が原因で決して成功とは言えないままに新年度の予算編成を終えましたが、既に23年度の予算編成過程に入っている今なお、私たちは「事業仕分け」の実効ある遂行を強く期待しています。 考えてみれば、21年度の事業は既に執行されましたから今ならチェック・レビューが可能です、監査も可能です、そして「事業」のみならず、「施策」、「政策」はたまた「制度」さえをも見直すことができる時期ではありませんか? また、元国家戦略担当相だった菅首相は当時「予算単年度編成の見直しや数値目標制度の導入も検討する」と発言していることは記憶に新しいところです。 でも、何故私たちは「事業仕分け」に期待するのでしょうか?何のために「事業仕分け」を完遂しなくてはならないのでしょうか? それは「政治家が主導する事業仕分け」によって、これまで長い間かけて行政(官僚)が抱え込んできた仕事の見直しを政治家がリードし、ムダを排除させ、本来の行政(官僚)の使命である「国民のお世話をする公僕」精神に立ち返らせ、まずは必須の事務事業を洗い出してもらうためなのです。 しかし、官尊民卑が色濃く残る日本の社会にあって「前例踏襲」「仲間意識」「ぬるま湯」から脱しきれていない行政(官僚)組織に効果的な実行を期待するのはなかなか難しそうです。 このため、“必殺仕分け人”たる政治家には官僚を上回る情熱とエネルギー、そして力量が求められることでしょう。余談ですが、現下のマスコミ最大の関心事である「民主党首選挙」にウッツを抜かしている時間は無いはずです。 心ある政治家が、昨年度の轍を踏まないように「事業仕分け」に全力で取組み、その実効が上がった結果、これまで行政が抱え込んでいた事業が民間に開かれ、そこに「市民イニシアチブ」による「新しい現場づくり」が必要となります。 この場合に行政(官僚)に必要な姿勢は「金は出しても口を出さない」ことです。明治以来、情報を一手に握りながら補助金制度や法的規制でイニシアチブを執ってきたのが行政(官僚)でしたが、もはや「情報公開」「規制緩和」「財政危機」によって「行政(官僚)イニシアチブ」は崩壊してしまい、今や“スピード”と“ボランタリー精神”と“前向きさ”を備えた「市民イニシアチブ」が活躍する時代なのです。そして、このように自主自立した「新しい現場づくりの力」を支援し、必要ならば協働することこそが行政の役割です。つまり、“プレイヤー”は市民であり、行政(官僚)は“サポーター”に徹しなければならないのです。 そして政治家は、このような時代の流れを読んだ上で、「新しい現場づくり」のために官僚をリードすることが“政治主導”であり、そのことに力を発揮しなければならないということを肝に銘じるべきではないでしょうか。 今なおブームのように続いている基礎自治体の「事業仕分け」に関わりましたので、昨秋の「地域戦略会議」から始まった各地の「市民イニシアチブ」による「新しい現場づくり」の事例を今後紹介していきたいと思います。
そして、それを契機に行政には「いま、自分たちは何が出来るのだろうか?」と考えて貰い、そのルール作りには「市民イニシアチブ」を背景とした政治主導を期待しています。 (2010/08/25) 写真はクリックで拡大します。 |
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