「トーク・宇部21 」はどんなことをしてきたの?“トーク・ウベ21”が発足して以来さまざまな活動を行ってきました。ここでは、若干のコメントを加えながら、それらを時系列的に整理してみました。 ◯ 昭和63年7月 グループ発足(このころのメンバー数は、8人。) 私達のグループには、「規約」なるものが存在しません。約6年前、「宇部のことが気にならないか?」と言って集まった8人が「勉強会」なるものを始めましたが、活動が長い割には「規約」なるものが未だ存在しません。 よく、「グループの規約を作れば運営も楽でしょうに?」とアドバイスを受けることがあります。大変有り難いのですが、いつも「メンバーの自由な意志を尊重すべきと思いますので、当面は作りません。」とお答えしています。 いい歳をした(?)大人が「グループの規約」不在が原因で、お互いに苦しむとしたら、ソモソモ地域社会の活性化を論じ、行動を続けることは不可能であろう、と思うからです。 地域社会の活性化のために積極的な意志を持って集まり、共に行動していても、何らかの理由で疲れたり、継続が困難になれば誰に気兼ねすることもなく、休めばいいのです。何もこだわることはないし、誰も批判はできない筈です。いつか、また条件が変われば、どんな形でもいい、また行動を始めればいいと思います。「地域社会の活性化」とは、誰のためでもない、結局は、自分達、自分の家族、子供達のためなのですから。 自ら考え自ら行動する、そんな人々が数多くいる地域こそが元気になるのだと思います。 そんな訳で、現在グループに存在するのは、先にあげました「三つのモットー」だけです。 1 宇部地域の活性化のために活動している他の団体、個人の批判はしない。 2 グループの活動には、「手弁当」で積極的に参加する。 3 各自の仕事の利害をグループの活動に持ち込まない。 大半が高校の同級生とはいえ、卒業後約30年が経過しており、メンバーの関心、意見はマチマチです。職種も建材卸業、海産物販売、団体職員、公務員、勤務医師、造園業、鉄工業そして主婦と見事にバラバラでした。おまけに、職場内での地位も、個人経営者から社長、専務といった経営トップ層そして課長補佐や係長などの中間管理職層まで、これ叉変化に富んでいました。 いわば文字通りの「異業種交流」でしたが、今考えてみれば、この点が良かったのではないでしょうか。 当初は、お互いの家族、職場、人間関係、そしてパソコンの話など、話題がアチコチに飛び交い、なかなか本論に入れませんでしたが、次第に宇部の現状についての意見が出てきました。ひとしきり過激な議論をした後に、誰かが「市役所や他人の批判をしても仕方がないし、何も変わらないよ。そんな宇部の現状に対して評論するのではなく、俺達がどうするかが問題じゃないのか?」と発言しました。これが切っ掛けで「グループの三つのモットー」が出来上がった次第です。長く活動しているグループにしては、珍しい事例かも知れません。 ◯ 昭和63年12月 金沢市に視察旅行。7人参加。 当初は、毎週一回木曜日の夜にメンバーの自宅の書斎に三々五々集まって、各分野の情報を持ち寄ったり、市内地区別の現況について考察を加えながら意見交換を行っていました。その結果、宇部の野外彫刻は全国的にも大変に重要なモノらしい、ということが判ってきました。 ちょうどその頃、金沢市に出張に行ったメンバーから「金沢には『彫刻の小路』もあって、素晴しいまちづくりをやっているので、視察をして自分たちの勉強に役立てよう」という提案があり、都合のつく者だけで自費で行くことになりました。この視察で感激した私たちは、すぐに地元新聞の一つである宇部時報に『彫刻を活用したまちづくり』についての投稿をしました。ここで、「市制70周年にも満たない歴史の短い宇部では、数少ない『固有の資源である野外彫刻』を中核として地域の活性化を進めるべきであると提案して行こう」という方向が決まっていたようです。そしてさらに、「シンポジュウムを開いて、自分たちの意見を市民の皆さんにも聞いてもらって議論しよう」ということになったわけです。 ◯ 昭和63年12月 このころ、シンポジュウムの自主開催を決定。 ◯ 平成元年 5月 宇部市の「ふるさと創生事業アイデア募集」に応募。 =「彫刻のあるまちづくりについて」を提案= (市民からの応募点数は、100点余。) ◯ 平成元年 8月 宇部市の「ふるさと創生事業アイデア募集」にて、 「彫刻のあるまちづくりについて」が優秀作に選ばれる。 ◯ 平成元年 9月 「トーク・ウベ・21 フォトコンテスト」実施。 (市民からの応募作品数は、100点を超える。) ◯ 平成元年 9月 「彫刻マップ(96の語りべ達)」を自主制作、配付。 シンポジュウムの開催は早い時期に決定したのですが、果たして市民の皆さんが参加してくださるかどうか不安でした。また、せっかく集まって下さった方々には、何か自分たちの考えていることを伝えるモノを形にして渡したい、という想いから、過去の1年間私たちが発表した内容をまとめた「宇部のまちづくりに関する提案書(宇部の未来を見つめて)」や、それまで作成されたことの無かった野外彫刻作品の写真とその配置図を裏表一覧的にまとめた「彫刻マップ(96の語りべ達)」を制作・配布し、市民の関心を高めるための「写真コンテスト」を行うこととしたのです。 ◯ 平成元年10月 シンポジュウム「俺達のまちづくりと彫刻」開催し、 =提案書「宇部の未来を見つめて」=を作成、配付。 メンバーの予想を大きく上回り、シンポジュウムの会場とした宇部市文化会館への来場者数は300人を超え、準備していた「提案書」などが不足したほどでした。当初私たちは、一定の成果があれば1年限りで提案活動を止めてもいいのでは、と気楽に考えていたのですが、このような予想を越える反響があったためか、簡単に止めるわけにはいかなくなった、というのが全員の偽らざる心境でした。そして、市内で同様のまちづくり運動をすすめているグループの皆さんにも訴えていきたい、と考え、以後の1年間は次のように幅広く、具体的な活動、提案を戦略的かつ精力的に実施することとしました。 ◯ 平成2年 2月 神戸市に視察旅行。(参加者6人。) ◯ 平成2年 3月 「カッタ君を宇部のシンボル・マークに!!」と提案。 (これを受けて宇部市は、1箇月後に、シンボルマークを制定。 以後、テレカ、シールを開発し、観光キャンペーン等に活用開始。) 市内の幼稚園に毎日飛んでいく「カッタ君」は、テレビ放送の全国電波に登場するほどの人気者になっていました。「地域の活性化には固有の資源を活用するとともに、一方でイメージアップが重要です」と提案していた私たちトーク・ウベ21は、友人のデザイナー(縄田健次さん)にお願いして宇部市役所に「カッタ君のイラスト」を数案提示して、「カッタ君」を活用したイメージアップ作戦の実施を提案しました。 ◯ 平成2年 7月 「彫刻絵はがき」を400部自主制作、配付。 ◯ 平成2年 7月 「シンポジュウム報告書」を100部作成、配付報告。 ◯ 平成2年 8月 子供達を対象に「彫刻のある風景」絵画コンクール実施。 (主に市内から、約100人の子供達が参加。 宇部市信用金庫の91年用のカレンダーに採用される。 年末、姉妹都市オーストラリアのニュー・キャッスル市向けに英文化。) ◯ 平成2年 9月「第27回山口県トーテム・ポール創作コンテスト」に応募。 (「技術賞」を受賞。) ◯ 平成2年10月 まちづくり座談会「ライトアップ&トーク」を開催。 (市内の各種団体からの有志により実行委員会形式で実施。) ◯ 平成2年10月 シンポジュウム「レッツ・トーク・アゲイン」を開催。 第1回目のシンポジュウム後、市内の各種団体や個人への呼びかけを中心に活動してきました。「彫刻絵はがき」は画家の松浦弘子さんにスケッチを懇願したところ、快くお引き受けいただきました。制作後は大変に好評で、瞬く間に出尽くしてしまいました。また「シンポジュウム報告書」は、ご講演をいただいた東京芸術大学澄川喜一先生の多額のカンパによって印刷が可能となりました。さらに「彫刻のある風景絵画コンクールとカレンダー」は宇部信用金庫をはじめとして、市内の各企業や団体、個人の方々のご支援によって実現できました。改めてこの場でお礼を申しあげます。ありがとうございました。 これらの集大成として、10月に宇部青年会議所、建築士会宇部支部、宇部商工会議所青年部等の各団体に呼びかけて、まちづくり座談会「ライトアップ&トーク」を渡辺翁記念会館前庭で中国電力株式会社宇部営業所のご協力で、彫刻をライトアップしながら開催いたしました。そして、その翌日、第2回目のシンポジュウムを実施いたしました。 参加者数は前年を下回りましたが、市内の各団体との連携、交流という点では新しい出来事であり、成果もあったと思えます。しかし、パネラーの一人佐藤修さんから「この時代に『俺達の…』というタイトルは男の奢りであり、女性に失礼である。いただけない。」とお叱りを受けたのもこの時でした。 ◯ 平成3年度宇部市「人材育成助成基金」の助成を受け、札幌市、金沢市、鹿屋市、 湯布院町、碧南市など全国各地域の視察を実施。 ◯ 平成3年10月13日 第3回目のシンポジュウムを開催。 3年目に入って、さらに活動の幅を広げたいとの気持ちから、折しも創設された「宇部市ふるさと人材育成助成金」の交付を受けてメンバーが交代で実施した全国各地域の視察報告会と市内各団体、個人の「宇部のまちづくり」に関する意見発表会を兼ねて開催しました。事前に配布した「開催のご案内」には、次のようにしたためています。 《……さて、早速ですが、今年も第3回目のシンポジュウム「俺達のまちづくりと彫刻」を別紙のとおり、常盤湖水ホールで開催することとなりました。 昨年は、前夜祭として「ライトアップ・アンド・トーク」と題した話し合いの場を設け、皆様にもご参加いただいたところです。その後は、商工会議所の主催による「街づくり展」にもご一緒に参加したりし、宇部のまちにも徐々にではありますが、変化の兆しが現われているところです。 このような<小さな芽生え>をさらに市民が一緒になって育てたいとの希望から、この度、私達はシンポジュウムに先立ち、市内の各団体等の意見発表・提案をご一緒の場で行っては、と考え、「こんなまちづくりを提案します」という催しを行うこととしました。さまざまの立場からの市民レベルの提案を一堂に会して行い、意見交換を通じてお互いの交流をさらに深めたいとの希望によるものです。……》 ◯ 平成4年1月31日 『ニュースレター』創刊 第3回目のシンポジュウム後に、“トーク・ウベ21”の考えていることや活動の状況をより幅広い範囲の市民に知っていただきたいこと、「ニュースレター」という広場を通じて、いろいろな方々との交流の場をつくりたいことなどを目的としてスタートしました。しかし、残念ながら現在は休止しています。 ◯ 平成4年3月4日 西京教育文化振興財団から助成金を交付される。 “身銭を切った”活動にも限界があります。しかし、細く長く活動を継続するためには、資金探しも欠かせません。“トーク・ウベ21”の野外彫刻の振興のための活動は文化の開発の側面を持つものとして、認めていただいた証しがこの50万円の貴重な助成金でした。 ◯ 平成4年10月 「彫刻マップ(96の語りべ達)」の改訂版を共同制作。 自前の資金だけでは改訂版の制作がおぼつかないため、私達は「共同制作方式」を新たに採用しました。「彫刻マップ(96の語りべ達)」を評価して下さる企業、団体や個人の方々に、1部あたり200円でまとまった部数を共同で印刷していただく方法です。 お陰様で、約2,000部の印刷が可能となり、「彫刻マップ」は、新旧合計で約5,000部の印刷累計となりました。 ◯ 平成4年11月1日 第4回目のシンポジュウムを開催。 ◯ 平成5年5月 宇部市「人材育成基金」の助成を受け、 アメリカ合衆国カルフォルニア州デービス市の視察を実施。 ◯ 平成5年10月 第2回『彫刻のあるまちづくり・絵画コンクール』および 『彫刻のあるまちづくり・写真コンクール』を開催。 『彫刻のある風景・カレンダー』を作成、配付。 何か継続できる事業を、と考えた末に私達は、平成2年に一度実施した「絵画コンクールとカレンダー作成」を選定し、協賛金を募ることでその資金を確保することとしました。 ◎ 平成6年度の予定としましては、8月に実施しました第3回『彫刻のあるまちづくり・絵画コンクール』とその後市内で募集しました優秀作品を審査の上、12点の作品を平成7年用の『彫刻のある風景・カレンダー』に採用します。 また、山口県文化振興財団の「地域文化活動支援助成」を受け、本年度中に『彫刻マップ&ガイドブック』の制作を計画中です。 さて、以上で“トーク・ウベ21”の活動のご説明は終わります。 お読みいただければお判りのように、私達“トーク・ウベ21”は、彫刻や芸術を愛好する者ばかりの集まりではありません。学生時代から多少の絵心を抱いている者もいますが、どちらかといえば、ごく当り前の話ですが、自分達の「まちづくり」に関心を抱いている者がほとんどなのです。自分や家族が住み、育っていくこの宇部地域のまちづくりに関心を深めつつあった折、チョットしたことがきっかけで勉強会に参加しました。そこで、「宇部地域の活性化のためには何を中核としていくべきなのか?」を問い詰めた結果、「野外彫刻」という「宇部固有の宝物」に行き当たったのです。自然といえばごく自然だったのでしょう。 “トーク・ウベ21”の活動をスタートして約6年の時間が過ぎ去りました。この間に注ぎ込んだ(?)エネルギーも相当なものだと感心していますが、さて肝心の「私達のまち宇部の活性化」はどうなっているでしょうか? 今、ここでそのお答えをする代わりに「地域づくりは焚き火と同じである」と述べさせていただいて、この項を終えさせていただきます。 『地域づくり焚火論』 先日、庭で焚火をすることがありました。現在はこのような風景を余り見かけませんが、私達の幼い頃はよくこのような風景を見かけたものです。 焚火をしながら、フッと「地域づくり活動は焚火に似てるナ」と感じました。 いくら乾燥していても大きな木にすぐに火はつきません。マッチや種火、藁や新聞紙、そして柴や小枝などが必要です。そんな「焚火の方法」と地域づくりのための市民活動とを比較して考えてみました。題して、『地域づくり焚火たきび論』です。 まず、藁や新聞紙(市民活動のステップA)に火をつけるためにはマッチ(人材、物材)が必要です。この藁や新聞紙は、それらが湿っていないかぎりは簡単につきますし、簡単に類焼もします。今迄、周囲(地域)に火が無かったものだから、周囲から見れば非常に衝撃的であり注目を浴びることとなります。でも、燃焼(活動)する時間や発生するエネルギー(他への影響力)は僅かなものです。また、途中、下手に掻き回したり、突風が吹き込むと消えてしまう恐れがあり、火を消さぬように慎重な扱いが必要な時期です。 次に、この藁や新聞紙が燃え始めたら柴や小枝(市民活動のステップB)を重ねます。この時、藁から柴へ移行するタイミングの見計らいが重要です。また柴の置き方も微妙です。下手に乗せると下の藁が押し潰され火も消えてしまいます。これらの柴や小枝は燃え方は地味ですが、一旦火がつくと熱エネルギーは大きく火持ちもよく、かなりの時間燃え続けます。これらの柴や小枝を事前に集める場合には、斧、鉈、鋸、鎌(説得力)などが必要で、さらに出来れば長さや太さ、乾き具合などを揃える配慮(企画・計画・構築力)があれば上出来です。柴や小枝の燃え方(活動ぶり)が安定していれば余程のことがないかぎり途中で突然火が消えるような心配はありません。俗に言う、火持ちがいいのです。燃え方(組織・運営手法)がしっかりしているので周囲も安心して見ています。そして時々、酸素(行政からの助成、他地域の視察や交流などによる外部からの刺激)を送り込むために団扇で扇いだり、火掻き棒で少し間を空けてやったりします。すると、更に元気良く燃えはじめます。 しかし、この段階に達しても、大きな木(地域をあげての活性化運動)には火がつきません。総合的な火力(魅力、訴求力、浸透力)がまだまだ不足しているのです。大きな木が少しでも湿っているとなおさら困難です。大木に点火するには柴が束になった強力な火力(市民活動のステップC)が必要です。即ち大きな木の湿気を除去できる強力な火力を持つ薪(各団体や組織の具体的な連携)が必要です。薪が燃え始めれば周囲もその燃焼を無視できないし、むしろ周囲(地域)を暖める力を持つその火力(市民活動)を進んで利活用したいと考え始めます。 初めは小さな火種もここまで来れば周囲(地域)を明るくし、熱(活性化のエネルギー)を供給できることとなります。 藁や新聞紙だけでは大きな木は燃え始めません。柴や薪を使った焚火が必要なのです。 1994/11/20 《「冬至夏至」から引用(ウベニチ新聞に河野執筆)》 写真はクリックで拡大します。 |
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