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12/31 プロジェクトの目標金額が大幅に上回りました。
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20年前に書いた文章を思い出しました。大村君のことを考えていたら、昔、私が書いた地元新聞への寄稿文を思い出しました。惜しい人を失いました。 以下はその転載です。
中年になってからの友人は、若い頃とは違って、お互いに各々の世界があることを承知の上で付き合うので、プライペートな事柄まで詳細に知り合っている訳ではない。従って、この場合の付き合い方は大変に淡泊である。 中には、年に何度も会って懇談するがお互いの生い立ちや学生時代の頃の話しを一切しない関係もある。良くは分からないが、女性に比して男性にはこのような付き合い方が多いのであろうか。 6、7年前に、ある人の紹介で知り合った友人がいる。 当時彼は、県内有数の企業の取締役であったが、私は彼の精神が大変に若いことに感心した。「大言壮語」という言葉がある。ある辞書には「実力以上に大きなことを言う」とある。が、彼の場合は言葉が大袈裟なのではなくて、彼の考えている夢が大きいのである、と思う。 知り合って1年後に、彼の「大言壮語」がなかったら、多分私はあのような大仕事に挑戦することはなかったのではないか、と思える程に勇気を与えられた出来事があった。後日聞けば、本人はそんなに情熱を持って語ったとは思っていないし、私にハッパをかけたとも思っていなかったらしい。その言葉を私が余りにも正直に真に受けたのであろうか、二人で笑ってしまった。 しかし、彼のお陰で全国的にもまれな組織化が実現した。その業界は「一匹狼」や「お山の大将」が多く、連携することが難しいと思われていた。まして関連する複数の専門家を擁する団体などというものは中国地域ばかりでなく全国的にも例はなかった。 「まちを活性化するためにはそのまちのグランドデザインをする人材が集結しなければ不可能である。山口県内にそんな人材が集まる団体をつくらなければ山口県の活性化はありえない」と彼は私に説いたのである。青年会議所の理事長を勤め終えたばかりの時期で、まちづくりに対する積年の想いが一気に噴出したのかもしれない。あるいは、トーク・ウベ21に対するエールであったのかもしれない。 その半年前から同様の気持ちを抱きながら、五里霧中でその実現のための端緒を模索していた私の気持ちがこのとき大きく動いた。「民間にこのような人材がいてくれれば、実現できるかもしれない」と思ったし、「県内にはこの人と同じ気持ちの人が沢山いるのではないか」とも考えた。 それから半年間、県内の行脚を続けた結果、とうとうその年度末に所期の目的である組織化が実現した。それから約4年間、かの団体は活発な活動を展開し自らの業界の発展を推進するばかりでなく、県内各地域のまちづくりにも多大な貢献をしている。 思えば、彼の「大言壮語」なかりせば実現しなかったであろう思い出に残る事業であった。 現在は社業を継いでいる彼と月に1回程度会っているが、最初に会った時と変わらずに今も大言壮語を吐いている。自分が元気であるばかりでなく、いつまでも周囲の人間にも活力を与えるような存在であって欲しいと思っている。 1995/03/12『ウベニチ新聞・冬至夏至』より転載 写真はクリックで拡大します。 |
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