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12/31 プロジェクトの目標金額が大幅に上回りました。
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50億円の「貯金」を持つ自治体に“賑わい”再生の知恵が出せないの?● 3年間継続した「宇部の村野建築を考える会」の活動、去年限りで終えました。昨年度は宇部市役所及び文化関連団体の資金提供も得て300万円余を活用して、“市民活動”として出来る一定のカタチは提案しましたが、さて、(本来イニシアチブを執るべき公的セクターに)何処まで伝わったのか、何か学ぶ事があったのか、甚だ疑問です。 地方財政問題の克服が一番の“狙い”だった“平成の大合併”が過ぎて10年余りが経ちますが、現在の首長の采配では、関係した「地域の一体化」どころか、「財源の集中と選択」さえもままならない現状をみると、現政府が唱えている「地域創生」に明るい光はあまり感じられない、という実感を持っているのは私だけではないでしょう。 せめて、いま現在地域で起きている大小様々な問題、課題に、「“未来の宇部”に育つ子供たちの為には何が必要なのか?」、 「その為には、今自分が何をすべきなのか?」との“ゴール・イメージ”を持ちながら、“オール宇部”を空念仏にせず、色んな立場にいる(各界各層の)市民がそれを共有して、一丸となって対処しなくてはならないのではないでしょうか。 しかし、その前段階で私たち市民(ステークホルダー)が忘れてはならないコト、不可欠なコトがあります。 様々な立場、主張を“引き出し”、一つの方向に纏めるのが首長の役目であるが、何を履き違えているのか、単なる1人の政治家の思い付きを、金科玉条のごとく振り翳して“特権”を行使し、独断専行するような運営は、もうこれまでにして欲しいと思うこの頃です。 「まちづくりの事務局機能を果たすコト」が市役所(職員)の仕事であると思いますが、もしも、その事務局長が市長であることを自覚できず、振る舞えないのならば、首長失格というべきではないのでしょうか? いづれにしても、この数年間が、私たちのまち宇部(の政治・経済)にとっての“正念場”だ、と私には思えてならないのですが。 ● 「私がやる!部下は出来ない!」と思い込んでいると、どうしても周囲は緊張してしまい、持てる能力も出せなくなってしまうものです。 「仕事をするのは部下、自分は旗を振るだけ。」と役割が分かっていると、(見かけは)“ゆるーいリーダーシップ”を発揮しながら、時間をかけて部下を育てることが出来ます。 トップに任される時間は2年から4年が通常ですから、その期間内で成果が出せるように「工程表」を考えるべきです。 しかし、与えられたポストの目的を考え間違うと、ステークホルダー(株主や市民・有権者)の“受け”を狙って、やたらと急ぎ過ぎたり、部下を必要以上に叱咤激励を繰り返し、場合によっては、近くに居る部下、側近の首を据え変えることまでやってしまいます。 そんな状況が続くと、本来の組織目標の達成は覚束ないどころか、組織内部に“対立”や“分断”が顕在化します。 そのトップに期待したステークホルダーは、ハラハラしながら見守る、という状況になり、国や地域の公益達成にはマイナスにしかならない。 要は、部下がノビノビと本来の仕事が出来るように旗が触れないのは、トップ(リーダー)には不適格だ、という事でしょう。 ● 玉城新知事が笑顔で「名札」を付けて貰っている写真が沖縄県知事選挙投票日の翌朝に新聞紙面に掲載されていますが、その写真を見て、すぐに私はその横に居る女性(秘書課?)職員の“笑顔”に目を引かれました。 とかく、トップを前にすると、萎縮したり、緊張したりで、この写真の女性のような振る舞いはナカナカ出来ないものです。最近の若い人は“KY”ではありませんから。 が、この女性の“笑顔”は、玉城知事の雰囲気から自然に生じたものだろう。私はそう感じました。 「これから、沖縄県の職員はあんな笑顔で日々の仕事を、玉城知事の笑顔を思い起こしながらやるんだろうなぁ。さぞかし、意義のある仕事を楽しくやれるんだ。」とまで想像してしまいました。 と、同時に山口の「菜香亭」の広間に掛けられた「ある政治家」の揮毫を思い出しました。 「魚躍る」、君主の恩徳が広く及び、人々が生き生きと所を得ている、という意味らしいのです。 トップ(君主)のもとで、職員(家臣・家来)が生き生きと仕事に励む、出来れば“笑顔”で業務に勤しむ事が欲しいですね。 特に、役所においては。 ● いづれの職にも「任期」がありますから、早晩、ステークホルダーがその権利を行使するのでしょうね。 統一地方選挙は、すぐ半年先です。 写真はクリックで拡大します。 |
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